タイ国 初大会の記憶。

少年野球チームが出来5年後に実現した。それまで練習はもちろん野球をするという上で基礎の基礎をとにかく練習した。当時はタイ人7割、日本人3割ほどの混合チームでありった。国際大会、国を背負うというところには変わりはありませんが、チーム選考をする上で実はルールがいろいろとあり、その中の一部分では選手の登録です、タイ代表ということでタイ国籍を持っている人が基本的には資格がありますがリトルのルールでは多国籍も可能になっており、その国に確か3年以上の在籍をしておれば代表の資格がある。選手登録はマックス14名。

当時私が小学5年生のころ。タイ代表として初めて国際大会に出場した。U12のアジアパシフィックトーナメントでのアジア国の代表を決める大事な決戦!!タイ国としては少年の大会では初の大会です。

日本人7名タイ人7名というようなチーム編成となった。これは意外とどこの国にも同じような形で出場している国ももちろんいました。

初の国際大会では日本の福岡県北九州市での開催だった。ワクワクが止まらなかったがそれよりもドキドキとプレッシャーがすごかった。試合という経験もなく、ましては対戦する国は台湾、韓国、日本などと聞いてみるだけでも鳥肌しか立たない。

相手は比べ物にならないくらいの歴史や経験、そしてプライドがにじみ出ている国だらけであった。

開会式の時に見た時の迫力は半端ではなかった。タイ国がいわゆる一般的な少年野球チームのような感じ(笑)見た目が。しかし韓国や日本などは違った、、、、。

みんなが全選手が怪物です(笑)見た目がもう高校生並みの体であり同じ年とは思えない。とにかく半端ない。ありえなかった、、。その中には大体の選手が名門高に進学しエリート中のエリート集団に成長するような小学生たちです。

恐ろしいくらいの迫力でありながらも悔しさも込み上げてくる。。そんな経験だった。

投稿者: momotarokiengkai

僕は日本人の父親とタイ人の母親を持つタイ育ちのダブルの人間です。 ずっと野球をやってます。 タイ野球を世界にと活動しています。